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もはや学校は終っている
372850 日本の高校受験は世界的に見ても珍しい制度
 
匿名希望 21/11/30 PM07 【印刷用へ
高校受験って何故あるのだろう。
改めて、他の国と比較してなぜ日本に受験が存在するのか、それがもたらしているものは何か。


リンクより引用

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教育学では、小学生段階を初等教育、大学や専門学校を高等教育、その間を中等教育と分類する。中等教育は思春期に重なる。反抗期を中心とした多感な時期をひとまとまりとしてとらえるのが世界の共通認識だ。
(中略)
読書をしたり、映画を見たり、楽器を弾いたり、仲間とともに冒険に出たり、親や先生以外のさまざまな大人と話したり、ときに羽目を外したり痛い目に遭ったりして、試行錯誤しながら世の中への見識を広めるべき時期に、紙と鉛筆で勉強ばかりしている場合ではない。


◆高校受験という制度自体が珍しい
だからこの時期の子どもを入試対策で追い回す国や地域は、世界を見回しても数少ない。
少なくとも大学進学を前提とした場合、イギリス、オランダ、ドイツ、ロシアなどではそもそも中学校と高校という区切りがない。映画の『ハリー・ポッター』をイメージしてほしい。彼は中学生でも高校生でもない。彼の学校「ホグワーツ」は、11歳から18歳までの子どもが通う7年制の寄宿学校だ。
フランスでは中等教育が前期のコレージュと後期のリセに分かれているが、リセへの進学に際して入試のようなものはない。コレージュでの取り組みに応じて振り分けられる。フィンランドでは7歳から16歳まで基礎学校で一貫教育を受けるが、やはり高校入試はない。フランス同様、基礎学校での取り組みにより振り分けられる。
日本と似ていると言えそうなのは中国くらい。ただし、日本のように個別の高校入試を受けて一喜一憂するのではなく、地域ごとに実施される高校進学のための統一試験の結果によって進学先が決まる。


◆反抗期と高校受験の両立は至難の業
日本の旧制中学は、明治時代にイギリスの5年制中等教育学校をまねてつくられた。旧制中学は男子校だった。それに相当する女子の教育機関は高等女学校と呼ばれていた。
第2次世界大戦後、中学校までを義務教育にしようと試みたが、小学校の6年間に加えてさらに中学校の5年間を義務教育化するには資金が足りなかった。そこで、中等教育を前期の中学校、後期の高等学校に分け、中学校までを義務教育にした。つまり「6・3・3」は妥協策だったのだ。
このとき、私立の旧制中学の多くは、中高一貫校に改組することで、5年制教育をほぼそのままスライドした。
戦前において、義務教育ではない旧制中学や高等女学校に通えるのは一部の子どもに限られていた。入試もあった。特に人気校の入試は難関で、もしかしたら一部では現代よりも過酷だったかもしれない。
その旧制中学の受験熱が戦後、そのまま新制高校の入試にスライドしてしまった。フランスやフィンランドのような進学制度にはならなかったのである。

結果として、日本の子どもたちの多くは、高校受験と反抗期を両立しなければいけなくなった。子どもの発達段階から考えて、これは酷である。反抗期が強く出すぎれば、受験勉強がおろそかになり高校入試で希望の進路は実現できないし、受験勉強一辺倒になってしまうと、反抗期を全うできず精神的自立や批判的精神の涵養が不十分になってしまう。
さらに1990年代以降は、中学校の成績表に「意欲・関心・態度」の項目が加わった。もともとはペーパーテストの結果だけでなく、数値化しにくい学習姿勢を評価しようという意図だったが、評価者である教員の恣意を拡大する可能性も否めない。
人間は監視されていると感じるだけで自分の行動を抑制してしまうとは、ミシェル・フーコーの『監獄の誕生 監視と処罰』である。多くの中学生は教員の目を気にして“いい子”を演じてしまう。ますます反抗期が骨抜きにされる。
 
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